美しい歌 ~好きな歌の訳、解釈、若しくは雰囲気の紹介

好きな歌の訳、解釈、若しくは雰囲気の紹介

Tecumseh Valley

Tecumseh Valley
(Townes Van Zandt)


◆テクムセの谷◆



彼女の名前はキャロライン
坑夫の娘だと言った
彼女はいつも自由に振る舞い
まるで
いつも日差しをあびているようだった


彼女は丘を越えて
スペンサーから来たと言った
父親が彼女を送り出したという
石炭は不調だし
やがてちらつく雪が
空を冬へと変えるから


彼女がここに来たのは
仕事を探すためだと言った
彼女は人の情けを受けようとはしなかった
一日にわずかのお金と
夜露をしのぐ場所のために
その手で仕事をするつもりだった


しかし、時は不景気
テクムセ谷のどこを探しても
仕事はほとんど無かった
それでも彼女はあちこちたずね回り
ようやく見つけたのは
ジプシー・サリーのバーでの仕事だった


春の足音が聞こえた頃
家に帰るのに十分な蓄えができていた
しかし、ふくらむ夢は砕かれた
父が亡くなったと
スペンサーから知らせがやって来たのだった


そうして彼女は街に立つ娼婦となった
彼女の中の欲望をさらけ出し
幾多の男が
彼女と枕を交わすため
繰り返し足を運んだものだった


ある日、階段の下に倒れた彼女が見つかった
そこはジプシー・サリーの店に向かう道だった
死んだ彼女の手に握られた紙切れには
こう書かれていた
「さようなら、テクムセの谷」


彼女の名前はキャロライン
坑夫の娘だと彼女は言った
奔放な彼女は
私の目には
太陽のように輝いていた






※※※

Tecumsehは、私は「テクムセ」としましたが、「テカムセ」「ティカムシー」等とも書き表されるようです。


長い歌詞の中で「私(I/me)という言葉が出てくるのは、最初の節の1回のみ(2度目はその繰り返し)ですが、それによってキャロラインという娘の話がただの物語ではなく、「私」にとって思い出として語られ、美しい歌になっています。


この歌の、谷(valley)や、太陽(sunshine)を思わせる女性、彼女を思う主人公の(おそらく)男性、というモチーフから、私はRed River Valley(レッド・リバー・バレー、赤い川の谷間、レッドリバーの谷)というアメリカの民謡を思い浮かべました。
こちらも素朴ながら美しい歌です。
そのうち紹介したいと思います。


歌詞には、英語の詩的な表現が多く使われていますが、変に格調高くもならず、歌詞としてよくなじんで独特の雰囲気を醸し出しています。
この雰囲気を伝えられていればいいな、と思うのですが…。



上の動画は私の好きなナンシー・グリフィス(Nanci Griffith)のバージョンを紹介しましたが、オリジナルはタウンズ・バン・ザント(Townes Van Zandt)です。ナンシー・グリフィスとよく共演しているエミルー・ハリス(Emmylou Harris)など、たくさんの歌手がカバーしているようですね。